Photo3_dArKred

Small flowers by the roadside (_itokanasikimonotachi_)

The door is always open

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164558j:plain

兵庫県公館の一つ山側、道路を渡って、赤煉瓦の教会へ。

(続き)

Moisés Daniel
Gaia At Night (2007)
https://soundcloud.com/moisesdaniel/gaia-at-night

この教会の扉は常に開かれている。
事務室に行けば大礼拝堂へも案内してもらえるし、写真撮影も可。独り静かな思いに浸ることができる。多分、宗教施設は本来そうしたものなのだろう。拝観料を取らなければ維持管理の難しい仏閣は、観光施設としての性格を強めるしかなかったのか。
いつでも開かれているのは、ここへ集う人々の寄付があってのこと_と考えたりもする。

 

W.R.ランバス博士ゆかりのメソジスト派の教会だったから礼拝堂内部はあくまでも簡素。大学・学部のチャペル教室を思い出す。比べ物にならないくらい、こちらの方が立派で、大きいのだが。
キリスト教学やその他の講義の数々、休講になって何処へも行き場がない時に、ぼんやりと時間を過ごしたことなど、甦る。
私は新約聖書を三冊持っている。一つは講義用に必要かと考えて入学時に購入した小さなもの。その次は、学内で結婚式を上げるため講話を受けた宗教センター主事の先生から頂いたもの。そして岩波文庫の文語訳。キリスト者ではないし、熱心に読んだとは言い難いのに。

 

心は遥か遠くへ行っていた。
目の前の美しい人の体調の変化に気づけなかった。この後、pew に蹲るようにして暫く休む姿を見つめるしかなかった。
悔やまれてならない。

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164054j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164138j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164533j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164158j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164313j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164337j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164353j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164411j:plain

f:id:GrieFingligHtstoNeyelLow:20211027164436j:plain