生きているのが厭になる時がある。もう然して長くもない命の筈だが。
(続き)
そんな時、別の人生を送っている私のことを考える。
どこかに別の私がいて、日本人の私のことなど何一つ知らずに生きている。
お気に入りは谷川俊太郎の「朝のリレー」。
きりんの夢を見ているカムチャツカの若者も、バスを待っているメキシコの娘も、全て私だ_ということにする。出てきたばかりのメキシコの家や、道の向こうの地平線と青い空が目に浮かぶ。
今日の撮影のきっかけは、ふと思い出していた Dune Messiah。盲目になったPaul "Muad'Dib" Atreides が砂漠に消えていく場面。
さすがに彼を私だとは思えないのだけれど、彼と同じ時代、Arrakisに生きる Fremen の一人なら問題はない。砂の惑星に生きる一人として、今日の夕暮れを暫く眺めていた。
私の他に、全く別の私がいることを夢想する。何故か不可思議な安堵と共に、生きようという心が頭を擡げてくる。児戯に等しい現実逃避ではあるのだが…。私にとっては一種のオマジナイ。
明日もまた生きている。
AShamaluevMusic
Imagination
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