撮影しながら古い Catholic 教会のステンドグラスを想った。何処とも知れぬ架空の荒野にある教会なのだが。
(続き)
AShamaluevMusic
Piano Cinematic - Emotional Background Music For Vidos and Films
https://soundcloud.com/ashamaluevmusic/piano-cinematic?in=ashamaluevmusic/sets/calm-music
赤や青、光と闇。そんなところから来た安易な連想なのだろう。
そもそも、この人形は、ステンドグラスの聖人の姿に重ならない。敢えて宗教的な見立てをするなら巡礼者か。時折、口許に浮かぶ不敵な笑みは、敬虔な雰囲気から遠く離れてしまうのだけれど。
様々な信仰に巡礼という旅があるのは何故なのか。
日々の生活から暫し離れて遠くの聖地を目指す。目的地は在っても、主眼は、その地に至るまでに費やす時間と、言葉にはならない遥かな想い。思い描いているのは人の形をしたものではないだろう。
いろんな像を眺めるのは好きだが、価値の押しつけが入ってくると距離を置きたくなる。そこには多分、どこかの誰かに、強いリーダーシップを求めようとする世間一般への反発が含まれている。
どこか遠くに聖なるものが存在することを希求する。
それは、人間の願いや悲しみ、喜びとは無縁。超然としたものでなければならない。そうでなければ、間をうまく立ち回る輩を認めることに繋がる。
遠い光の輝きが、私にとっては聖なるものだ。どこかにそんな光を見つけることが出来たら、また還ってくる日もあるだろう。
若い頃の斉藤哲夫の歌声とシングルレコード・ジャケットの暗い赤色を思い返していた。