同じでも、皆、違っている。
(続き)
他所様の人形写真をSNSで見るのが好きだった。
美しい衣装を着せてもらっている人形が、私の持っているものと同一の人形であったりすると、それだけで嬉しかった。
どこか知らない場所で、誰かと幸せな時間を過ごしている。
この美しい人もSNSでたくさんの画像に出合う。こんな感じにも撮れるのか_そんな思いで眺めていたものだが、誰が撮っても同じという評を耳にした。
シャッターを押しただけなのに自分の腕が上がった気にさせてくれる人。それでいて確固とした個性を感じさせる表現者_そんな意味での言葉だったのだろうか。しかし、言葉の響きに違和感があった。
一人の人間が、いつでも同じ顔、同じ雰囲気だというのはありえない。大量生産された人形でも、一緒に時間を過ごせば、別の顔を見せるようになる。球体関節人形の作家本人でさえ見たことがなかったという表情。そんな感想を幾つか目にしたこともある。
まして生きている人間なら。…
誰が撮っても同じということはないだろう。
凡そ一年前に撮影した画像を手にしている様子。刻々と移り変わる表情。
同じ日の同じ撮影であっても新しい発見が続く。
しなやかに身を躍らせる柔軟さ。いつまでも流されず、そこにあり続ける強さ。
そんな場面を切り取ることを願ってシャッターを押し、息を吞む。
Memory Recordings
Fabrizio Paterlini - While Everything Burns
https://soundcloud.com/user-268162856/fabrizio-paterlini-while-everithing-burns