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Small flowers by the roadside (_itokanasikimonotachi_)

On the deck of a phantom cargo ship

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幻の船旅の続きを未玲で。

(続き)

Ashot Danielyan
Old Story 
https://soundcloud.com/ashot-danielyan/ashot-danielyan-old-story

書影及び船の画像は 飯野60年の歩み 飯野海運株式会社 昭和34年7月(非売品)

しかし、夕珠を撮影したときの妄想とは直接には繋がらない。

 

昔々、すぐ近所に、同じ保育園に通う女の子が住んでいた。歳は多分一つ下。女の子にはお兄さんがいて、私よりは二つか三つ上だった。近所だったから女の子の家に遊びに行ったし、女の子も私の家に来ていた。二つ下の妹と仲が良かったようには思えないから、私と仲良しだったことになる。

 

人形のように大きな眼をしていた。どこか日本人離れした美しい子だった。多分、私の父のお気に入りだったに違いない。父の乗る船が神戸にいるとき、私と一緒に女の子を船へ連れて行ったりした。妹は母と一緒に家で留守番。兄妹喧嘩ばかりしていたから、他所の子が一緒なら大人しくすると考えたのか。

 

女の子は、乗り物が好きだった。父に案内されて行った機関室も無線室もブリッジも、船のあらゆる場所で目を輝かせていた。救命ボートの下に並んで座ってアイスクリームを食べていたときも、ペンキの分厚く塗られたボートの底を見上げていた。 

 

還暦間近、偶々出会うことがあった。話をしたのは、それこそ一緒にアイスクリームを食べて以来。夫婦揃って近所の子供に剣道を教えていることは母から聞いていた。目の大きいスマートな女の子は、がっしりした体格の剣士になっていた。見たこともないくせに、南米大陸のどこか、マチュピチュの青い空が似合いそうだと思った。日本人離れした雰囲気は失せていなかった。

 

小さな女の子の思い出に終始したが、もう一つ鋼鉄の甲板に敷き詰められた木製のグレーチングや板張りの遊歩甲板のことを思い出す。父はその後、別の船会社へ行くことになったのだが、新しい会社の新しい船には、そんなグレーチングはなかった。甲板は滑りやすく、日差しの照り返しも容赦がなかった。

 

日本船籍の船から日本人船員は少なくなり、船旅は金持ちが道楽で行くものとなった。

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