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Small flowers by the roadside (_itokanasikimonotachi_)

Disappeared and Reappeared

Le Livre de Leonor Fini レオノール・フィニ作品集と共に

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(続き)

40年程前、これと同じ本を持っていた。
過去形で書いているのは、手元にあったのは1年か2年。親の家に残したまま家を出た。その後、実家は室内リフォームが行われ、人を入れての片付け・移動の中で、画集は失せてしまった。
何故、手元に置いていなかったのか。
卒業後、就職。秋には家を出た。自転車の荷台に載せた衣装ケース一つで引っ越した先のアパートは1K。370×270mm 247ページの画集を収める場所は無かった。
画集購入は、その1年程前。学生アルバイト10日ばかりの日当を手にして、神戸元町のMへ。高校生の頃から洋書売場に足繁く通い、文字通り埃ハタキで追い払われたりもした。いつか爆発する檸檬を置いておきたくなる気持ちは、私も一緒に居た友人も同じだったが、このフィニ作品集を購入して客あしらいが一変したのには驚いた。
家に持ち帰って開いてみると、画集というよりは写真集。カラーの図版が少ないようにも思ったが、大判の作品集、何よりも日本の出版物ではないことが嬉しかった。
大学のサークルで知り合った一人からは一点豪華主義と嗤われた。確かにそうだろう。身の程知らず。身の丈を弁えていない。今に続く私の性向だ。しかし他人様から言われると面白くない。岡林信康の「それで自由になったのかい」同様、自嘲として呟くのならまだしも、人から指さされ嗤われると癪に障って、腹に据えかねる。ブタ箱の中の自由だと分かっていても。
僅か1〜2年で失くしてしまった作品集をネットの古書店で見つけた。
同じものではないのだろうが(※Tous droits reserves 1975 et 1979 の記述あり)、不思議な縁を感じた。
40年程前、片付けのために雇った学生アルバイトの誰かがリュックに入れて持ち帰ったに違いないと言った母に
その人は私と同じ趣味だったのかな_と応えると、
売るために決まっていると莫迦にされたことも思い出した。
その言葉の響き。呆れたという母の表情も。
消えてしまったものが時を越えてまた現れて、これもまた身の程知らずの所有物_美しい人形の側にある。
私のこれまでの生き方を思い起こさせる画像になった。

telefan
Untitled Canvas (Jens Felger featuring Telefan)
https://soundcloud.com/telefan/untitled-canvas-jens-felger?in=jens-felger/sets/collaborations-on-untitled

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書影は
Le Livre de Leonor Fini  Mermoud-Clairefontaine 1979