この春に写した桜と同様、浴衣姿にも不穏なものを見てしまう。
(続き)
撮り終わった画像を眺めていて、中田秀夫監督の映画を思い出していた。劇中劇で脱走兵を匿う役を演じる若い女性の面影が重なった。
和装と怪談を結びつけてしまうは、私の心根の貧しさ故だろう。浴衣姿の人と一緒に出かけた思い出が無い情けなさも多分に手伝っている。
しかし、仮にそんな機会があったとして、花火大会に私が出かけるだろうか?想像することすら難しい。
10年ほど前、雷雨で港の花火大会が中止になったことがある。
私は夕方前から角打ちに居て、一人飲んでいた。店の高校生の娘さんが、友達何人かと連れ立って花火見物に行ったのを、常連の爺さんたちが肴にして心配していた。
えらい雷やけど、大丈夫かな。みんな綺麗に浴衣着て、嬉しそうに出ていったのに。
なに、濡れたら濡れたで、楽しいもんやで。わあわあ言いながら、その内に戻ってきよる。
なるほどなぁと思いながら、聞いていた。
私には到底思いつかない景色だった。
お婆ちゃんの匂いがすると言って、懐かしそうに浴衣に顔を埋める海街diaryの一場面も思い出した。
非日常の花を幾つもあしらった浴衣には、忘れていた時間の流れや思い出が付き纏う。幽明の境など淡いもので、互いに透けて見えるときがあるのだろう。
怖いような美しさに踏み込まないためには、それなりの自制が必要だと分かった。
BradHill
So Close The Stars
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